偏見を低減する認知症教育

先日知人と話していて、彼は認知症をほとんど知らなかったときに認知症サポーター養成講座の見学をして、DVDを見たときに「認知症って大変なんだな」と思ったと言い、これは偏見の解消に役立たないんじゃないかと言った。

まさにそうだと思う。その件について。

 

DVDというのは、良い対応・悪い対応を説明した動画で、ゴミ出しを間違える、道を間違えるなどの3場面が入ったあの動画のことである。あの動画が「分かりやすくていい」という人はいると思うが、「偏見の解消にあの内容が適切だ」という人がいるなら教えてくれ、と思う。

 

「障がい」を伝えるときに重要なのは、「障がいのあるAさん」ではなく「Aさんは障がいを持っている」(Disabled PeopleではなくPeaple with disabilityというやつ)という考え方だと思う。人ではなく障がいを先に見るときに、個性や能力が無視され、差別、排除が生じていく、という認識が前提にあるはずだ。

 

あの動画には「Aさん」がどこにもいない。「認知症の人」がいて、認知症の人に冷たい対応をする人と、優しい対応をする人が映されているだけだ。あの動画に限らず、認サポ全体として、「Aさん」を重視した視点が全くないのではないか。

今の認サポはこういう人を生み出すには役立っているだろう。

認知症かどうかを見分けられる人」

「かわいそうな認知症の人に優しく接することができる人」

こういう人が増えていくと、一見優しい社会のように見えて、実は認知症の人を抑圧する社会ができるのではないかと思う。最近は、もはやスティグマを強化してさえいるのではないかと考えている。

 

ひとつの試みとして、3年前に中学生向けの認サポをやった時に、「Aさん」を全面に出した脚本を作ってみた。もともと、認知症の人が友人との交流機会が減ったり、外出頻度が減少するということに問題意識を持っていたので、あえて友人との交流場面を取り上げている。骨子は僕が個人的に作ったものなので、議論のたたき台として公開します。

 

やり方はいろいろあって、当事者と一緒に講座を行う、「本人座談会」の動画を使って当事者の語りを聞いてもらう、当事者が書いた著書を引用する、等々

オルタナティブの構築と、今の認サポへの批判を行うことは、やらないといけないなと思います。